指導者の体罰

日野皓正さんの件で指導者の体罰がまた問題視されているが、概ね体罰は絶対ダメという意見のようだ。

私は絶対ダメというのではなく必要な場合もあると考える。

共感脳
大怪我をする瞬間などの衝撃映像を見ると気分が悪くなる人がいるように、人は他人が傷つけられているのを見たとき自分が傷つけられたように感じ不快になる。それを「共感脳」というらしい。

サイコパス等極悪犯罪者は共感脳を持ち合わせておらず衝撃映像を見てもなんとも感じずむしろ快感を覚えるらしい。よって躊躇いなく残忍な犯罪を起こす。このような人格の持ち主は幼少期に体罰を受けていない場合が多い。

人は痛い思いをすることにより同じ立場の他人の気持ちを感じ取ることができるようになる。一定の幼少期間に体罰を受けていないと共感脳が育たずサイコパスになってしまう可能性がある。体罰は共感脳を育むトレーニングであり幼少期の教育として必要なものである。

機械の修理
修理屋が機械を修理するならその豊富な知識や経験から、内部を良く調べ問題箇所を突き止め修理するだろう。しかし素人が無理やり修理を任されれば途方にくれ、気の短い者ならその機械を叩いたり蹴ったりするかもしれない。

指導者の役割
指導者が十分な知識経験を持ち合わせていれば、その生徒の技術的な問題点を即座に見抜き適切なアドバイズができる。そこに体罰は必要ない

もし指導者がその生徒の問題点や解決方法を見つけられないとき、正しい指導方法は「一緒に考える」ことであろう。

一番の問題はそのようなとき、素人の修理と同じくとりあえず体罰」で誤魔化してしまう指導者がいるという事だ。生徒が巧くいかなくて悩んで苦しんでいる時の体罰は虐待に等しい。実際自殺者も出ている。絶対に許されない。

体罰が必要なとき
では体罰が必要なときはどの様なときか。それは生徒が反社会的行為をしたときだろう。その場合は体罰が必要だろう。この場合まで体罰を規制してしまうと、口頭の注意で収まらないときは対応方法が無く、即警察へ通報となる。

ここまで読んでいただいて、今回の日野さんの件を皆さん考えてみてください。詳細な状況が分からないと微妙な感じですね。